Pumpuiさんの“チェンマイ&北タイ旅コラム”

チェントーンでの旧正月


■チェントーンでの旧正月(1)


 「じゃあ、チャーターすればいいんだろ!!」
 ほとんどヤケになり、思わず叫んでしまった。

 タチレクからチェントーンまで車で行くつもりで、街はずれにあるタクシー乗り場までやってきた。年末にチェントーンから戻ってくる時だいたいの相場がわかったので、今回はそれに準じて値段交渉を考えていたのだ。しかし、ドライバーの言い値は、どの車も予想価格の2倍以上であった。「旧正月だから、特別料金だ。」どのドライバーも、そう言って値段を下げる気配はない。そんな値段交渉のさなかに、1台の車が出発していった。こんな値段でも、やはり旧正月ということでチェントーンに向かう客は多いのだろうか。それでもあるビルマ人とタイ語で話してみると、予想以上に値上がりしていてあきれている様子だった。そして、若干の値引きをしてくれた車と契約した後、ドライバーが人数集めを始めたのだが、一向に客を取れない。どうやら、あまりの値段の高さにチェントーンへ向かう客はワンボックスカーやバスを利用しているようなのだ。

 客集めに2時間が経過……。1月の寒い時期とはいえ、日中はやはり暑い。暑さといらだちのあまり、客を集められないドライバーとちょっとした言い争いになり、思わず叫んでしまったのが冒頭の言葉であった。

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 旧正月が近づき、どこでその時を迎えるか悩んでいた。最初は、昨年の旧正月に行ったリス族の村に行くつもりであった。かなりの数のリス族が集まり、民族衣装を身につけたリス族の写真を撮るには、最適な場所に思えたからだ。しかも、昨年は途中でカメラが故障し、思うような撮影ができていない。そんな悔しさもあり、今年もその村に行くつもりで情報収集を行っていた。しかし、昨年同行したYさんに「同じところに2年連続で行くと、後悔することが多いよ。」と言われ、考え直してみた。そういえば、クリスマスも2年連続で同じ村に行ったらイベントの指向が変わってしまい、がっかりしたのだった。今回は、約2週間で北タイとチェントーン近郊をまわってからヤンゴンに抜け、ヤンゴンからバンコクに戻る予定だ。12月にチェントーンで話を聞いていたので、旧正月のイベントの日程はだいたい見当がついていた。チェントーンで長めに滞在するか、昨年と同じ村に行くか……。結局選んだのはチェントーンに滞在することだったのだが、このタクシー・ドライバーとのやり取りで、すでにその選択を後悔していた。
 結局、タクシーは言った通りチャーターの形になってしまった。翌日はチェントーンでイベントが行われることがわかっており、そのイベントのために時間の都合をつけたのだから、何としてでも行かねばならない。そんな気持ちが顔に出てしまったのだろうか、どうもタチレクという街は相性が悪い。

 ところどころ、村とも言えない規模の集落を通り過ぎながら、車はチェントーンへと向かって行った。この道路は、以前に比べだいぶ状況が改善されている。チェントーンのガイドは「ビルマで最もいい道だ。」と言ってはばからない。起伏がそれほど激しいわけでもなく、ところどころ崖を崩して道を切り開いたところがあり、見晴らしもいい。検問をいくつか通り過ぎ、車は無事にチェントーンへ到着、定宿にチェックインした。




■チェントーンでの旧正月(2)


 翌日、チェントーン近郊の村の広場でラフ族の祭りがあるというので、行ってみることにした。これは近郊のラフ族が一斉に集まるもので、規模としてもかなり大きく来賓が数多く招待されていた。来賓が揃うと入場が始まり、その後はグループごとに踊りが披露された。それにしても、これだけのラフ族が民族衣装を身につけている姿を見るのは初めてだ。昨年訪れたラフ族のお祭りは村単独での開催だったので、これほどの数は集まっていなかった。ラフ族の踊りはステップが数種類あり、力強さを感じさせるものが多い。田植えから稲の収穫までを表現した踊りなどは、誰が見てもわかるようなものだ。

 2日目、近郊の村へのトレッキングの帰り道、あるラフ族の村で踊りが行われていた。と言っても民族衣装などは身につけておらず、ただひたすら自分達で打楽器を鳴らしながら踊っているだけだったが、ほとんど休みなく続けている。楽器を演奏するのは子供達が多く、ひたすら音を鳴らし続ける。この村では、踊りよりも音楽を聞いているほうがはるかにおもしろい。子供達は、曲を自分達なりにアレンジして演奏しているようだった。しばらく見続けていると、村長が話しかけてきた。残念ながらタイ語を話すことはできないのでガイドを介しての会話だったが、「せっかく来たのだから。」と言って、餅を持って来てくれた。ラフ族の慣習で、正月は餅をついているのだという。ありがたくいただき、ゲストハウスに戻って焼いてもらうことにした。こちらも、お礼にと手持ちの飴を渡したが、すぐにそれは子供達を中心に村人たちに配られた。村の生活は決して豊かとは言えないものの、食べることには困っていないように見受けられた。しかし、自給自足的な部分が多く、飴などはなかなか口にすることができないのだろう。どこでも喜んでくれるし、いざという時は自分用の非常食にもなるので、山に行く時はできるだけ数多く持っていくことにしている。

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 3日目、リス族の村に行くことになった。ガイドが懇意にしている村で、今日は祭りが行われるということだ。そこに行く途中、ピックアップトラックに乗っているラフ族の集団に遭遇した。いくつかの村を回って踊りを披露しているらしいその集団の後をつけ、ある村でそれを見せてもらった。こじんまりとしたものだが、まったく我々旅行者を意識せず、あくまでも自分達の儀式、お祭りとして踊っている姿は素朴ながらも神聖で美しいものであった。

 チェントーンから車で1時間弱、途中の川が車が渡れないほど増水していたので、車を置いて約30分ほどの軽トレッキングをすることになった。「悪いけど、車はここに置いて歩いて行ってくれ。道は平坦だし30分で着くから。」ガイドのひとりがそう言うので車を降りて歩くことにした。確かに、ガイドの言う通り平坦な道を30分も歩くと、聞き覚えのある音楽が聞こえてきた。昨年行ったリス族の村で奏でられていたのと同じリズムの音楽である。この村は、正直言って昨年行ったタイ領の村と比べると、かなり貧相である。当然のことながら、電気も来ていない。身につけている衣装もそれほど華美なものではない上に、中途半端な衣装の人も多い。衣装をすべて揃えきれなかったのだろうか……。やはり、タイと比べると経済格差があることは否めないだろう。それでも、ガイドたちがかなり大量の食材(野菜や肉など)を差し入れに持って行ったせいか、振舞われた食事は豪勢だった。ガイドにはお金を払っているものの、村人達には直接お金を渡していないのに、食事を振舞われるのはいつもながらうれしいことである。昨年リス族の村で見た踊りは、同じリズムで同じステップをただひたすら続けているものだったのだが、この村ではラフ族と同様にいくつかのステップがあり、その順番も決まっているようだった。さらには歌いながら踊るパターンもあり、同じリス族でもかなり違っているのが興味深かった。




■チェントーンでの旧正月(3)


 4日目、丸1日チェントーンで行動できるのは今日が最後である。5日市がようやく開催されたので、行ってみた。初めてチェントーンに来た時から毎回この5日市には来ているのだが、年々民族衣装着用率は下がっている気がしてならない。また、写真撮影に関するトラブルも聞くようになり、撮影意欲もあまりわかない。それでも、前回写真を撮ったタイヤイの娘さんに再会し、その写真を渡すことができてホッとした。
 さて、どこに行こうか……。実は、ガイドも迷っていたようだ。普通にバイクで行けるような山岳民族の村は行き尽くしているらしい。後はある程度歩かねばならないところばかりのようなのだが、“この日本人は、歩くのが嫌いだからなあ……”と考えていたのだろうか。「じゃあ、***族の村に行く?“少し”歩くけど、まだ君が行ったことのない村だよ。」という誘いに乗って、まずはバイクで行けるところまで行くことにする。これまでの3日間は、ドリーム(または車)で行動していたのだが、この日はオフロードバイクが使えるということで、ガイドもこのコースを選んだのだろう。オフロードバイクは、2人乗りのドリームではまず登れそうもない急坂を登り続ける。きつい勾配の上に砂地の道で、何度かタイヤを取られたものの1時間ほどでバイクは目的地に到着した。

 到着した場所は、この一帯では最も標高の高いところにあり、見晴らしもよかった。道路を工事している最中で、多くの労働者が働いている。そんな工事現場の労働者用に食事を作っている山岳民族の女性がいた。そしてしばらくすると、その娘というのが下の方から荷物を持って登って来た。どうやら、毎日1往復しているらしい。そんな彼女は、民族衣装を身につけている。撮影しながらガイドを通じて話を聞くと15歳ということだったが、体つきは小学生と言っても過言でないほど小柄だった。だが、持って来た荷物を見せてもらうと、15kgから20kgはありそうな、非常に重たいものだった。“こんな小柄な体で、よく持って来られるねえ……”などと感心していたのだが、彼女にとっては日常らしく、どうってことない、という感じだった。しばらく撮影や会話をしていると、「食事の用意ができたから食べていけ。」と誘われる。食事といっても、ナムプリック(日本で言うふりかけのようなものだった)と野菜が少し入ったスープ、それにご飯と質素なものだ。しかし、ナムプリックの辛さが食欲を増進し、けっこうな量を食べてしまったような気がする。いつもながら申し訳なく思う。

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 食事の後、「ここから1時間ほど歩くと目的の村に着くけど、行く?道も平坦だよ。」とガイドに聞かれた。工事現場にいた子供達3人も、一緒に村に戻るという。“この子供達と一緒であれば、キツイ山歩きも多少は楽しくなるんじゃないかな。それに1時間なら、ここ2日ほど歩いていることだし何とかなるだろう。”と安易な気持ちでこの誘いに乗ってしまった。しかし、歩き始めて5分もしないうちに、そのことを後悔していた。この道は、とても平坦とは言い難いものだった。出発地点からいきなり崖を降りるような急勾配、さらにダラダラとした下りが続く。“おいおい、この道を帰りは登るんだろう?勘弁してくれよ……”と思いながら、必死になって子供達の後をついていく。15分ほどすると、子供達が歩く順番を変えてきた。「この人、歩くの遅い……。」子供たちの中でリーダー格の娘がそんなことを話している、とガイドが教えてくれた。45分ほど経過した頃、少し平らで広いスペースのある場所で休憩を取る。ここから彼らの村が見えるというので教えてもらったのだが、とてもあそこまであと15分で着くとは思えないような、遥か彼方に見えた。ここまでは下り中心であったが、ここからもさらに下り、そして一気に登り詰める、というのがルートになるようだ。“これのどこが平坦な道なんだ!!”と怒りながら、ここまで来たら引き返せないという意地だけで、彼らの後をついていく。川を渡り、登りが始まった。途中までは子供達と同じ道を歩くことができたのだが、かなり急な勾配のあるところで、男の子が別の道を行こうと提案してくれた。ちょっと遠回りになるが、だいぶ勾配が楽になるらしい。女の子2人は、いつも通りの道を先に行き待っていてくれるという。この女の子2人は長靴を履いており、さらにリーダー格の娘は荷物を背負っている。それにもかかわらず、この道のりをあっさりとこなしているのだから、やはり山の民は強いなあと感心し、そして自分自身を恥ずかしく思いながら迂回路を登っていく。迂回路はだいぶ傾斜が緩やかになっており、おかげで何とかペースを取り戻すことができた。

 再び合流すると、「ここまで来れば、10分で到着するよ。」とガイドが教えてくれた。その言葉のおかげで、ようやく景色を見る余裕が出てきた。静かな山の中で、川のせせらぎも聞こえる。しかし人通りはまったくなく、この子供達だけでほぼ毎日歩くのは怖くないのだろうか、とふと考えてしまった。合流してからは道も緩やかになり、村の直下で若干の急斜面があったものの、無事に目的の村に到着することができた。所要時間90分……。休憩時間があったとはいえ、予定の1.5倍の時間がかかってしまった。これまでは、ガイドの話す時間通りに歩くことができていたのだが、さすがに起伏が激しいと所要時間に狂いも生じる。このコース、村に着いてから手元にある高度計で確認すると、300m下って200m登ったということになっている。帰り道のほうが登りが多く、さらに疲れもあることから2時間は見ておく必要があるだろう。となると、村にいる時間は限られてくる。ちょっと残念だが、村で過ごす時間は短くせざるを得ない。




■チェントーンでの旧正月(4)


 この村は10戸ほどの家があるだけで、それほど大きいとは言えない。昼間ということもあり、大人の多くは出かけており、いるのは子供と女性が中心だ。それでも、この日は大人の男性が何人か残っていた。そのうちの一人は私を別の村で見たことがあると言う。何度か行っている同じ民族の村で見た記憶がある、というのだ。「確か、薬を持って来てくれた人だよね?」とガイドにたずねたそうだ。やはり同じ民族、村は離れていても交流はあるらしい。彼らは、私の持つカメラを興味深くながめていた。ファインダーからのぞかせてみると、おもしろがっている。そんな彼らに写真を撮らせようと思い、ガイドに説明してコンパクトカメラを渡して、フィルムがなくなるまで好きなように撮るように、と伝えた。彼らに撮らせたそのフィルムを現像し、それを次回に持って行こうと思う。一体いつになるのかわからないが……。
 この村には、それほど観光客は来ないそうだ。やはり、ある程度歩かなければたどり着けない村には、観光客も足を運ばないのだろう。最近行く村は旅行者慣れしているところが多かったのだが、この村は決してそんなことはなかった。まだまだ外国人と接するのは恥ずかしい、そんな雰囲気が感じられる。
 カメラとボディランゲージでコミュニケーションを取っていたが、残念ながら時間となった。最後に村人の集合写真を撮って、村に別れを告げた。

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 来る時は、苦しいながらも子供達との楽しいひとときがあったのだが、帰り道はガイドとふたりきりである。しかも、明らかにこちらの方が行きよりもきついルートだ。憂鬱な気分で村を後にすると、先ほどの男の子が追いかけてきた。どうやら、また一緒に戻ってくれるようだ。
 最初の下りは思ったよりもスムーズに通り過ぎたが、川を越してからの急坂は厳しいものがあった。結局途中でダウンし、少し長めの休憩を取ることにした。時間が迫り、少しあせってきたのだが、ガイドは「時間は気にしなくていい。大丈夫だよ。」と励ましてくれる。息が切れているので、呼吸が整わない限りしばらく続く坂道は登ることはできないだろう。
 ようやく呼吸が落ち着き、出発する気になった。そうすると調子のいいもので、意外にスムーズに登れるような気がする。もうそろそろゴールというところで、僧の集団と出会った。その中のひとりに豆乳をいただくことができ、力が湧いてきた。ゴール直前の急坂も一気に登ることができたのだが、何と最後の一歩でとうとう足がつってしまった。思わず発した悲鳴は、周囲の注目を浴びることとなった。ガイドに助けられながら足を伸ばし、さらに休憩をとることにした。同行してくれた男の子にジュースを与えようと思い、ガイドを通じてこちらの意思を伝えると、“ジュースはいらない”という。ジュースよりも乾電池の方がいいというのだ。「ジュースは飲めばすぐになくなるけど、乾電池は長く使えるからね。」とガイドは言う。電気のない男の子の村では、懐中電灯は貴重品なのだ。その貴重な懐中電灯の電池がちょうど切れているので、何かくれるのであれば乾電池の方がよっぽどほしいのだ、という。たかだか1時間ちょっとの山登りでバテバテになってしまったが、この子供達と一緒でなければ途中で引き返したかもしれない。どれだけ彼らには救われただろう。そんな気持ちもあって、お礼にということで乾電池を買うことにした。

 つった足の状態はイマイチであったが、日が陰ってきておりかなり冷え込んできたので、早く帰る必要がある。男の子や工事現場の労働者に見送られながら道を急いだが、途中のある村で休憩しようとすると、再び足がつってしまった。悲鳴を聞いてやって来た村人が親切にも薬を持ってきてくれて、これを塗れという。それにしても、こうした旅人に対する優しさというのはありがたいものだ。

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 この国は、軍事政権ということでイメージが悪いかもしれないが、そこに住む人々には、まだまだ優しさが残っている。そんな彼らの気持ちに感謝しているうちに、チェントーンに来る途中のタクシーの中で思った後悔は消え去っていた。



海外のホテル、9万軒以上を取り揃えているのはさすが!




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