Pumpuiさんの“チェンマイ&北タイ旅コラム”

旧正月


■旧正月(1)


 旧正月とは、中国正月のことを指す。この期間、中国人は祭りを盛大に行うのだが、山岳民族の中にもこの正月を祝うものが多いと聞く。せっかくチェンマイに住んでいるのだから、彼らの正月がどんなものであるのか知りたいと思い、村を訪ねてみることにした。
 最初は、以前行ったことのある、知人の住む山岳民族の村に行こうと思った。その村は違うが、周囲には中国系の人々が数多く住んでいるので、何かあるのではないかと思ったのだ。知り合いに相談すると「うちの村は何もやらないけれど、近くの村は色々とやっているよ。行ってみたら。」と薦めてくれた。今回、この友人は仕事の都合で山には帰れないので、一人で行くこととなった。バス、ソンテオ、そしてバイクタクシーと乗りついで、その村にたどり着いた。知り合いが連絡しておいてくれたようで、村での宿泊は問題なく許可された。話を聞くと、この村の住民自体はクリスチャンに改宗しており、中国正月を祝う習慣はないという。最も盛大なお祭りは、クリスマスだそうだ。
 中国正月当日、朝から爆竹が山々に鳴り響いた。平野の街のそれと比べると音は大きいものの、1日中鳴り続いているわけでもない。村人のバイクで、周囲の村をまわってみた。しかし、爆竹は盛大に鳴り響いているものの、考えていたようなお祭りはどこもやっていない。“何か、違うなあ……”と思いつつ、この日はおとなしく村に戻った。少しがっかりしていたら、村人が「夜になると、少し先の大きな街で縁日があるよ。」と言うので、村の子供たちと一緒に行ってみることにした。
 会場までバイクで行ったのだが、そこはまさに縁日であった。いくつもの露店や屋外ボクシング、そしてお決まりの観覧車とディスコ……。村の子供たちも、これが楽しみでやってきたのであった。私が世話になっている家では、行く前に子供が親に小遣いをせがんでいた。とにかく遊びたい盛りのようだ。しかし、一体ここに来て何に使ったのだろう?
 ディスコには外国人は皆無に等しかったが、私が目立つこともなかった。街のディスコでは年齢制限が厳しくなっており、入場の際IDを見せることを義務づけている店が多いのだが、ここはそんなチェックなどない。IDなど持たない山岳民族が多いことに配慮しているからだろうか、それとも警察がいないからだろうか。縁日の会場に入るために1日20B、ディスコはさらに20B払う必要がある(1回払えばその日は出入り自由)。子供たちにせがまれディスコに入り、一緒になって年甲斐もなく踊ってしまった。しかし、一応保護者として来ているので、子供たちの様子に気を配る必要もあった。実際、この日はケンカがありビール瓶などが飛び散る事態も起きていた。それでもまだ、バンコクと比べればマシかもしれないが。




■旧正月(2)


 翌朝、物足りなかったものの、村を後にした。本当の中国正月はこんなはずじゃあないと思い、山を下りてから最近知り合ったYさんに話をしてみたところ「じゃあ、リス族の村にでも行ってみますか?」との誘いを受け、翌日そこに行くことにした。
 車で街から3時間、4WDでないととても進めない道をYさんの運転で車は進んだ。3時間のうち、舗装されていたのは半分くらいだろうか。この時期は雨もほとんど降らないため、土埃がすさまじく、窓を開けてはいられなかった。逆に、雨期にこの道を車で行くことも困難であろう。やはり、時期を考えると旧正月の頃がベストではないだろうかと思う。途中、何度か坂を登れずにエンストすることもあったが、本などでよく見るリス族の衣装が目につきはじめ、目的地が近づいたことがわかった。「やっと着いたようですねえ……。」と話していると、街道に面した家から、若いリス族の娘が華やかな衣装を身につけてどんどん出てくるではないか!「今日は、もう少し上の村で祭りをやっているから、今から踊りに行くのよ。一緒に行かない?」と、ありがたいお誘いの言葉を受ける。喜び勇んで、10分ほど車で山をさらに登り会場に到着した。
 そこは、まさにリス族の楽園であった。私は、山岳民族の衣装ではリス族のそれが一番好きなのだが、今日は正月用の衣装を身につけたリス族が数10人、いや100人以上いるのではないかと思われる場面に出くわしたのである。こんなにうれしいことはない。これまで、三輪隆氏の本にあるドイチャーンの旧正月を撮影したものが一番印象に残っていたのだが、ここはそれをはるかに上回る数のリス族がいる。おそらく、周辺のリス族が集まったのではないだろうか。そうでもないと、これだけの数が集まるとは考えにくい。
 すでに踊りは始まっており、輪を作って踊っていた。輪の中心に音楽を奏でる年配の男性が陣取り、そのリズムに合わせてステップを踏む。そのうち、Yさんとともに輪の中に入って一緒に踊り始めた。リス族の踊りは単調なリズムであるが、なかなか足が合わない。それでも、見知らぬ異邦人を受け入れてくれるホスピタリティはうれしかった。
 リス族の衣装は、他の山岳民族のものよりも派手な感じがする。しかし、正月用の衣装はそれに輪をかけて派手だ。きれいなピンク色の衣装に、銀の飾り、そして帽子(?)……。この踊りは一種のお見合いであり、年に一度自分の美しさを演出する貴重なチャンスであるはずだ。“できるだけきれいに見せたい”と思うのは当然のことであろう。男性も、写真で見たことのある黒い正装といえるような衣装を身につけていた。また、輪の外にはこうした衣装を身につけず、ただ見ている人も数多くいた。彼らは、この村でリス族と共に暮らしているアカ族のようだが、祭りには参加していない。さらに、今どきのタイ人の服装をしている人も多い。普段は街で働いており、正月ということで戻ってきたものの、都会に染まり村の祭りには溶け込めないのだろうか……。同じ村でも貧富の差は当然あり、衣装を揃えられなかった娘もいるに違いない。少数であるが、タイ人観光客も来ていた。しかし、明らかに外国人とわかるのは我々だけだったと思う。




■旧正月(3)


 3時間ほど滞在して、暗くなる前に山を下りることにした。あの道を夜走るなんて、とても考えられないからだ。夕方には街に着いたが、まだ時間もあるのでそれほど遠くない郊外のラフ族の村にも行ってみることにした。実は、ラフ族にはファーンで嫌な思いをした経験があるので躊躇したが、この村はYさんが何度か行っているとのことで、交流を図るのはむずかしいことではないそうだ。
 途中、差し入れを購入してから村に向かった。このラフ族の村では、今夜は20時ごろから踊りを始める予定だという。村といっても、小規模なところである。昼間に行ったリス族の村と比べるまでもないが、Yさんが何度か行ったことのある村でもあり、コミュニケーションを取るのは容易だった。しかし、ある若者がすでに酒に酔っており、しつこくからまれたのには参った。
 20時をはるかに過ぎて、ようやく踊りは始まった。ラフ族の踊りは、リス族のものと違っていくつものパターンがあった。特に印象的だったのは、地面を叩くようなステップがあったことだ。リス族が同じステップをずっと続けるのに対し、ラフ族はひとつのステップが終わると、音楽を中断し別のステップへと移っていった。
 先ほど酔っ払ってからんできた若者は、踊りが始まっても足元がおぼつかず、何度も倒れてしまうにもかかわらず踊ろうとしていた。わざと女性のほうに倒れようとしているように見えなくもない。そのため、村の女性たちからは逃げられていた。何か、失恋でもしてヤケを起こしているのだろうか……と思わせるくらい、自虐的な行為だった。リス族同様、ラフ族にとっても今晩の催しはお見合いを兼ねているはずである。あんな振る舞いをして、彼は大丈夫なのだろうか。他人事ながら心配になった。
 しばらくは踊りを見ていたが、寒くなってきたので家に入ることにした。かろうじて電気の届いているこの村だが、その家には1台のテレビが置かれていた。彼らが見ていたのは、どこから手に入れたのか、別の村の正月と思われる光景をビデオに収めたものだった。「ほかの民族の踊りを見て、新しいステップでも考えているのかな?」とYさんと話したものの、なぜそんなものを見ていたのかはわからない。
 眠くなってきたので、村を後にすることにした。Yさんの知り合いのおばさんに挨拶をすると、「また、来年もおいで。」と言って布でできた腕輪を手首に巻いてくれた。“また来年も絶対来よう”と、心に決めつつ村を後にした。




■旧正月(番外編)


 タイの山岳民族の村をまわった後、ビルマに向かった。ヤンゴン、カロー、ニャウンシュエ(インレー湖)と旅した後、今回の一番の目的地、チェントンヘと向かった。ヘーホーからチェントンへは空路で行くしかないのだが、チェントンに着く直前に飛行機がかなり揺れた。この辺の気流は安定していないことが多いようだ。
 2年ぶりのチェントンだ。空港から、以前泊まったゲストハウスまでバイクタクシーで向かう。ゲストハウスの主人は、2年ぶりに訪れた私を覚えていてくれた。しばらくすると、前回の滞在中にガイド役となってくれた運転手もやってきて、しばらく昔話に花を咲かせた。余談だが、私は会話に限れば英語よりもタイ語の方がマシである。ビルマ国内では、英語でのやり取りに疲れてしまったのだが、チェントンでは私のタイ語でも十分にコミュニケーションが可能であり、うれしくなってかなり話をしていたような気がする。
 ゲストハウスの主人に「2年前同様、できるだけ村をまわりたいからセッティングしてほしい。そして5dayマーケットにも行きたいけど、いつ開かれるかわかる?」とたずねてみた。彼はカレンダーを見ながら「明日だ、明日!明後日もあるぞ!」と教えてくれた。さらに「そういえば、明日はワ族の村が正月のはずだ。今からちょっと様子を見に行かないか?」と言うので、彼のバイクで行ってみることにした。
 舗装路をはずれると、一気に山道だった。小石が散りばめられたその道を、ゆっくりと進んでいく。ワ族は、麻薬を生産しているとかビルマ政府と交戦しているとか、いい噂はあまりないのだが、行った村は極めて平穏だった。明日からの正月を祝う準備で忙しそうにしていたが、村長にも挨拶した。ここでもタイ語が通じたのはうれしかった。ゲストハウスの主人も、明日から正月が本当に始まるのか不安だったので確認したかったのだろう。これで、宿に泊まっている白人をこの村に連れて来ることができると喜んでいた。村長からの夕食の誘いをありがたく受け、外灯のない暗闇の中、チェントンに戻った。
 翌日、ゲストハウスに泊まっている白人3名と私の計4名、それにガイド3名(暇だったらしい)と運転手で、ワ族の村に再び向かった。村に着くと、すでに踊りは始まっていた。これまでに見たリス族やラフ族と違い、ここでは歌いながら踊ることが多いようだ。人数は多かったが、衣装の派手さはリス族の方が明らかに上だ。これは、山岳民族といえどもタイとビルマの経済格差なのだろうか……などと考えてしまう。実際、その後近郊に住むというリス族が踊りを披露したのだが、先日見たリス族ほどの豪華な衣装ではなかった。ワ族の踊っている人たちの表情はとても豊かで、政府軍と対立している民族とは思えなかった。写真を撮っていると「一緒に踊らない?」と誘われた。例によって輪に混じりステップを踏むのだが、なかなか思うように行かない。笑われつつも、見よう見まねでステップを踏んでみた。一応は、さまになっただろうか……。その後、ショーのようなものも始まった。どういうグループかわからないが、歌を歌ったり踊りを披露したりが繰り返される。舞台の裏では、大量の料理が準備されていた。
 この会場は、村の一番高い丘に位置している。車は村の入口に止めてあり、そこから歩いて会場にやってきたのだが、その途中にはいくつもの店が開かれていた。村人相手の賭けごと屋(何と呼んだらいいかわからないのでこう名づけてみた)や飲みもの食べものを売る店がいくつも出ていた。喉がかわき、ジュースを買おうとタイ語で聞いてみると、思いっきり通じてしまった。聞いてみると、チェンマイのカードスワンケーオで数年間働いていたことがあるそうだ。チェンマイの私が住んでいるエリアも、すぐにわかったようだ。「君は何族なの?」とたずねてみたが「コンドイ(山の民)よ。」という答えしか返ってこない。そんなのを気にするのは、外国人だけなのだろうか?お昼になると、会場で食事が振舞われた。決して裕福でないはずなのに、しかも我々はガイドには金を払ったが彼らには直接金を払っていないので、恐縮する。それでも、タイ料理よりも日本料理に近い味つけの山岳民族の料理は好きなので、遠慮せずに食べてしまう。スプーンとフォークではなく、箸を使うのも何となくうれしい。
 イベントは佳境を迎えたようだが、私は飽きてきたので村をふらついたり、先ほどジュースを買った店で座りながら娘と話をしていた。すると、何度か写真を撮ったワ族の娘たちが「今からそこの山に登るけど、一緒に行かない?」と誘ってくれた。山といっても小高い丘で、そこには仏陀が祭られていた。10分ほどで着くということなので、一緒に歩くことにした。彼女たちは民族衣装を身につけていた。しかし、この山中を歩いていく途中思わぬことに気づいた。彼女たちは、衣装の下に何とジーンズをはいているのである。一瞬興ざめしたのだが、まあそれが今どきの山岳民族なのかもしれず、こっちが勝手に質素だとか貧しいとかイメージを作り上げているに過ぎないのだろう。彼女たちは、正月ということで民族衣装を身につけているのだろうが、普段はジーンズなど平地民族と同じような衣装をしているに違いない。我々がイメージする山岳民族の衣装は晴れ着であり、現代では何かイベントがある時にだけ着用しているのではないだろうか。それにしても、ジーンズの上にさらに民族衣装を身につけて暑くないのだろうか?と心配するのは大きなおせっかいか……。
 お参りを済ませると、彼女たちは村に帰るという。どうやら、かなり遠くの村からやって来ているようで、暗くなる前に帰らねばならないそうだ。“来年も会おうね”などと約束して、彼女たちと別れを告げ、自分もチェンマイへの帰途についた。



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