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Sketch Of Town


■花



チェンマイで見かけた美しい花の写真 チェンマイ(タイ)で“花”というと蘭やジャスミンが圧倒的に有名だが、それ以外にも日本とは比較にならないくらい実にさまざまな種類の花を当地では目にすることができる。南国であるここチェンマイで咲いている花は、日本ではまったく見たこともないものだったり、あるいは日本にもあるものの、気候の違いのせいかすごく大きかったり色が鮮やかだったり……と、バリエーションに富んでおり、訪れる旅人の心を和ませてくれる。
 最近では、市や県でもお堀や主要道路沿いなどに花を植えたプランターを置いているほか、一般の商店や民家でもちょっとしたスペースを利用して鉢を置いたりしていて、いたるところで花が咲き誇っており、チェンマイの街歩きの際の新たな魅力のひとつになりつつあるような気がする。チェンマイを旅する方は、ぜひ自分の足で街を歩き、美しい花々に接してほしいと思う。


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■キリッ!



チェンマイの街で見かけた汚い風景の写真 「キリッ」とは、カムムアン(チェンマイ語)で“汚い、不潔な”というような意味を表す言葉である。
 急速に都市化が進んだチェンマイでは、その発展のスピードに都市機能のインフラ整備が追いついておらず、そのひずみが街のあちらこちらに現れている。モータリゼーションの発展に伴う騒音、大気汚染、交通渋滞などはその際たるもので、実際にチェンマイに20年近く通い続けているとその悪化ぶりは目を覆いたくなるほどだ。が、それ以外にも人口の増加や生活の近代化によって顕在化してきたゴミ問題、統制のない住宅開発(途中で中断してしまって放置されているものも多い)が生み出した無秩序な都市デザインなど、チェンマイにいると“キリッ!”と叫びたくなることががしばしばだ。

 ここでは、管理人がチェンマイの街を歩いていて目にした“キリッ”な光景を紹介する。

≪注≫このコンテンツ(写真)には、不潔・汚いため、見る方によっては不快感を抱かれると思われるものが含まれています。写真をご覧いただく方は、ご自身の責任でお願いします。


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Life In ChiangMai


■大晦日のパーティー(田舎編)



タイ北部の田舎町にある友人の実家で開かれた大晦日のパーティーの写真 チェンマイで銀行に勤めている友人が「大晦日に田舎へ帰るから、一緒に行かないか。」と誘ってくれた。家はチェンラーイだと聞いていたのでちょっと躊躇したのだが、聞いてみるとチェンラーイ県でも最南端、チェンマイから同地に向かうエアコンバスが最初に停車するメーカチャーンの街だというので、言葉に甘えて彼の実家で新年を迎えさせてもらうことにした。
 彼の車に乗り、チェンマイを出て山道を2時間ほど進みメーカチャーンの街に向かう。「今日の夜は、ムーカタ(焼肉)だよ。」というので、街なかにある市場で肉だけでなくエビや魚などの材料や“ラム”とボトルに書かれた安酒を購入し、郊外にある実家に向かう。家では、お母さんが自分で栽培したというマッシュルームや野菜などを準備して息子の帰りを待っていた。
 夕方になると、庭にムーカタの鍋や炭、酒のグラスなどが準備され、大晦日のパーティーが始まった。チェンマイで大学に通う友人の妹、同じく結婚してチェンマイで暮らす姉とその子供たちなども帰省し、パーティーは徐々ににぎやかになっていく。近所に住む親戚や村長さんまでがやってきて、みんなでわいわいとムーカタの鍋を囲んだ。宴もたけなわとなり、タイでのこうした催しにつきものの酔っ払いも登場し、外に持ち出したステレオに合わせて歌を歌ったり踊ったりと大騒ぎになるが、12月の北タイは非常に寒くジャケットを着ていても耐えられなくなり、22時過ぎにお開きとなる。
 家の中に入ると、テレビではクルンテープ(バンコク)でのカウントダウンの様子を放映していたが、ここメーカチャーンの田舎では外を歩く人もまったくおらず、もちろんチェンマイのように花火が打ち上げられることもない。シンと静まり返った雰囲気の中で迎えた新年であった。


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■大晦日のパーティー(市内編)



チェンマイ市内の友人宅で開かれた大晦日のパーティーの写真 友人が、自宅の庭で大晦日の夜に年越しパーティーを開くというので、遊びに行ってみた。19時ごろから始まったパーティーには、彼の親戚、友人・知人、近所に住む人々など大勢が集まって、一時は家の前の道路にまで人があふれるほどの盛況となった。
 サテ(焼き鳥)の屋台を呼ぶとともに、自宅で作ったヤム・ネーム、鶏のスープ煮、干しイカのサラダなどの料理で食事をした後、大人はカラオケ、子供たちはプレゼント交換に興じ、とてつもなく甘くて不味いバタークリームのケーキをみんなで切り分けて食べた。
 新年を迎える午前0時が近づくと、チェンマイでは街のあちらこちらで花火が打ち上げられるが、ここでも買ってきた爆竹を鳴らしたり、大きな素焼きの土器に火薬を詰めた噴水型花火をあげたりして、新年を祝った。


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■元旦のタムブン@サンティタム



チェンマイ市内で道を封鎖して元旦に開かれるタムブン(得を積む行為)の写真 「元旦の朝早く、サンティタムの5叉路で年に1回のタムブンがあるので一緒に行こう。」と同地に住む友人に誘われた。タムブンは朝6時からだが、早く行って場所を取らなければならないと言うので、まだ外が真っ暗な5時15分に友人の家に行き、奥さん、眠そうな顔をした2人の娘とともに5叉路へ向かう。6時から始まるとのことだったが、行ってみると7時からだったようで、まだ住民たちがロータリーの周りや周囲の道路沿いにイスやテーブルを並べているところであった。徐々に人が集まり始め、6時半にはロータリーを埋め尽くすほどになった。警官が数人やって来て、5叉路に通じるすべての道路を通行止めにして、交通整理にあたっている。
 しばらくすると、どこからか坊さんや少年僧が30~40人ほど現れて、ロータリーの回りのイスに座りお経を読み上げた後、集まった人々にお説教をした。それが終わると、集まった人達がロータリの周囲に2列にずらりと並び、その間をお坊さん達が供物を受け取りながら進んでいく。数100人が供物を捧げるので、お坊さんの持つ鉢はすぐいっぱいになってしまうが、坊さんひとりひとりにお手伝いの人が付き、大きなズタ袋を持って鉢に入れられたものを片っ端から放り込んでいく。正直言って、これで本当にご利益があるのかなあ……というカンジだ。
 タムブンを済ませた人は三々五々帰っていき、8時すぎには坊さんたちもどこかに消え、ロータリーの周辺は何もなかったかのようないつもとまったく変わらない日常の風景にまた戻っていた。


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Oldies But Goldies


■街の風景:1973年


≪お堀沿いのどこか(ターペー門からムーンムアン通りを少し北に行ったあたりか?)≫



 中央遠景に、チェンマイではもう見かけなくなってしまった小型サムローが止まっている(この頃はまだトゥクトゥクはなかった)。遠景の左から右に伸びる堀沿いの通りに面した家々が、どれもみんな2階建てになっており、高い建物がまったくない。
【写真提供:chinichaさん】


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■街の風景:1989年


≪ワローロット市場≫



ほとんどの店が路面に近いところに商品を並べている。後景の銀行は、現在セブンイレブンになっている。

≪チャイヤプーム通り≫



堀の北東角、ワットチャイスリープム付近の風景。平日の昼間に撮影したのだが、車の量が今とはまったく違う。また、堀に沿った部分の整備(遊歩道など)もまったくされていない。


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■街の風景・1990年


≪インペリアル・メーピンホテルから見た街の北側≫



南北に伸びるカムペーンディン通りは、今や旅行者向けのショップが立ち並んでいるが、まだこの当時は閑散とした感じだ。中景右に見えるビルはチェンインホテル(現D2ホテル)。

≪インペリアル・メーピンホテルから見たドイステープ方面≫



高層のコンドミニアムが多く建ち並ぶ一帯だが、現在と比較すると数がかなり少ない。
【写真提供:タイ北部山岳少数民族ギャラリーさん。同サイトについては「リンク集」をご参照ください】


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■1994年の洪水



1994年にチェンマイを襲った洪水の写真 1994年の9月、チェンマイは大きな洪水に見舞われた。
 この年、自分はタートーン(国道107号線を北上したところにある、チェンラーイとのボートトリップの発着地点がある村)から、さらに北の山岳地帯を旅していたのだが、そこでは多量の雨が降り、家屋の流出、山崩れ、道路の崩壊、田畑の浸水など、かなりの被害が出ていた。旅を終え、チェンマイに戻ってきてみると、そうした地方に降った雨がピン川に集まり南下した結果、水位は今にも堤防を越えそうであった。
 それから数日たったある日、ついに川の水はあふれ出し、川沿いのチェンマイ-ラムプーン通りやチャルン・プラテート通り付近だけでなく、周囲のエリア一帯にも押し寄せ、ナイトバザールの一部も水に浸かった。自分は、この時ポンピンタワーホテルに宿泊していたのだが、ホテルを1歩出ると道は川のようになっており、いつもたむろしているトゥクトゥクもどこかに避難してしまったのかまったく見あたらず、外出にたいへん苦労した。また、市内の別の場所からホテルに戻る時も、行先を告げると乗車拒否が相次ぎ、浸水していない場所で車を降りて、そこから先は水の中をバシャバシャ歩きながら帰ってきた。
 護岸工事などが進められたからなのか、自分自身はこれ以降、ここまでひどい洪水にあたったことはない。


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≪過去のチェンマイの写真をご提供ください!!≫
 「サワディーチャオ チェンマイ」では、昔のチェンマイの風景写真をこのコーナーにアップして、街の移り変わりを閲覧者のみなさまに見ていただきたいと考えております。つきましては、1990年以前にチェンマイを旅して、街の様子を撮影した方がいらっしゃいましたら、写真をご提供いただけないでしょうか。なお、寺院などのあまり変化がないところよりも、現在との違いがわかるような場所の写真で、ご提供いただく方ご自身が撮影されたものをお願いいたします。お貸しいただける方は、こちらまでメールをいただければ幸いです。






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