tpnさんの“タニン市場での揚げパン修行日記”(5)

 「揚げパン修行日記」については、いつまでも書き続けていてもしょうがないのではないか、ということで、いったん区切りのいいところでしめることにした次第ですが、この“第5期”は、毎日つけている日記をもとに、その続きということで書いたものです。続編を書くことを勧めてくださったガネッシュさんには色々と助言をいただき、大変感謝しております。この場をお借りして、お礼申し上げます。



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第5期 ~お別れ編その1~


■9月16日 月曜日……原因はささいなこと、でもことはおおごと


 「揚げパン修行日記」をラビットさんにメールで送ることは、昨日で終了しました。お父さんやお母さんの僕に対する期待は、僕の想像以上に強いものになっているのではないか(今思えば、そんなにマジメに考えるべきことではなかったと思っています)、もしそうならば、「引越す」なんて言ったらどんなことになるのか……。
 引越しまでの時間は、まだ1ヶ月ほどあります。少しずつフェイドアウトさせていって、最終的にはお手伝いをしていなかったという元の状態、すなわち買いに行ったり、食べに行ったりだけできる状態になればベストだろう、と考えていました。引越し先はマコーミック病院の近くで、自転車で通うにしても大仕事だから……。そんなくだらない、お父さんお母さんに失礼なことを考えていました。
 そしてこの日は、いつものようにジョギングの後、揚げパン屋へと向かいました。いつも通りに、揚げパンとマグカップに入った砂糖抜きの豆乳を受け取って、いつものようにお金を払おうとしました。お母さんは、「お金は要らないよ。」と言ってきました。僕は、「だめです、払わないといけいけません。」と答えました。お母さんからは、「それじゃあ、20バーツ。」そんな答えが返ってきました。いつも、ジョギングをする時にはお金を10バーツくらいしか持っていないので、僕は「わかりました、取りに行ってきます。」と言って、お金を取りに行きました。お金を無理に払おうとすると、お母さんは断ろうとしました。僕は、それを押し返します。お父さんは、それを見てわかったのでしょう、お母さんを制止しました。もちろん、お母さんは冗談を言ってきたのです。ただ、今までさんざん旅行者であること、手伝いはできてもお金はいただけないことなど色々説明してきたのに、その時とても残念な気持ちになりました。どうして、わかってくれないのだろうか、口では“わかった”と言っているのに……。
 最近は、お母さんの口から“お父さんと2人で店をやってくれるとありがたい”と言われるようになっているし、おまけに、お客さんの中には僕がタダで朝食を食べるために手伝っていると思う人まで出てきている始末だったのです。もともと、僕がお手伝いをさせてもらうということ自体に無理があったのか……。
 揚げパンと豆乳を後ろのカーオマンガイ屋のテーブルで食べながら、そんなことを考えていました。そして、今日は店を手伝わずにこのまま帰った方がいい。明日、様子を見てみよう。と思いました
 この時、まだ僕は強気でした。




■9月18日 水曜日……あいにくの雨、そしてショック


 昨日は、運悪く雨が降っていました。ジョギングは中止、そして揚げパン屋に顔を出すのも中止にしました。
 今朝も、起きてみると雨が降っていました。しかし、しばらくするとあがったので、いつもの時刻より遅れてジョギングに行き、帰りに揚げパン屋に顔を出しました。僕としては、“揚げパンと豆乳は大好きだし、お父さんやお母さんとのことは別問題だ”、そのように考えていました。
 店に行くと、周辺はいつもと同じ朝でした。僕は、お母さん向かって挨拶をしました。お母さんは、簡単に挨拶をしました。お父さんに目を向けると、お父さんは僕の目を見ずに無視して作業を続けていました。せめて、挨拶ぐらいはしてくれてもいいのではないか、それも目さえ見てくれないのは大変ショックでした。
 お母さんは、揚げパンと豆乳を渡してくれたので、カーオマンガイ屋の机で食べました。カーオマンガイ屋でいつも流れているタイの曲は、今まではほのぼのして大好きだったのですが、今日はなんだか物悲しく、さびしく聞こえてきました。
 カーオマンガイ屋の兄ちゃんと少し話をして、この日は部屋に戻ることにしました。




■9月19日 木曜日……周りは知らない


 この日は、ジョギングの途中で雨が降り出したので走るのを中止、その後雨はあがったものの時間が中途半端になり、揚げパン屋に朝食を食べに行くことにしました。いつもと同じようにカーオマンガイ屋のテーブルで食べていると、ベンツに乗っているいつもやって来るおじさんが僕に「店は手伝わないのか?」と聞いてきました。僕は、「手伝わないほうがいいのです。」とだけ答えました。
 食器を片づけに持って行くとお母さんが、昨日僕が帰ってから日本人の女性が買いに来て僕のことをたずねていった、と言ってすぐに仕事に戻って行きました。
 ホームページに日記を載せるようになったからか、僕自身がチェンマイにいる日本の方にこの揚げパン屋の話を少しずつするようになったからなのかはわかりませんが、買いに来てくれたり、遊びに来てくれるようになっているのでしょう。タイ人も日本人も、僕がこの店に立っていることは知っています。ただ、ここ数日お父さんお母さんとの関係がぎくしゃくしていることは知らないのです。申しわけない限りです。何とか、以前のようにニコニコ話ができる関係に戻れないものか、と思います。




■9月20日 金曜日……決断


 今朝は、天気もよく競技場で走ることができました。以前は、店の手伝いがあって早目にジョギングを済ませるため起床は午前5時、暗いうちに走り出して軽い運動をして、午前6時15分頃には店に顔を出していました。今は手伝わないので、その必要はありません。今日は午前6時に出発し、明るい日差しの中で走りましたが、やはりこちらのほうが気持ちいいです。
 今日は、AUAのタイ語授業を終えたら、午後飛行機でバンコクへ向かいます。北海道から友人Aが遊びに来るのです。Aは僕が就職していたころの先輩で、1年間同じ職場で働いていました。その後はたまに連絡を取ったり会ったりしていたのですが、僕が別の職場に出向している時も仕事をやめる時も、色々心配してもらっていました。仕事をやめた後もメールで情報交換をしていて、いろいろと紹介していたタイを実際に見に来る、ということになったのです。バンコクで落ち合い1泊、パタヤで3泊、その後チェンマイで3泊、チェンマイ滞在中には揚げパン屋にも連れて行く……、そんな計画になっていました。揚げパン屋のお父さんやお母さんにお土産は何がいいか、そんなことまで考えるほど楽しみにしてくれていたのです。正直に、今の残念な状況についてはAに話さなければ、でも今日のこの時間で何とか修復できないのか……、と考えていました。
 ところがそんな気持ちとは裏腹に、今日はお母さんの態度までもが冷たかったのです。僕の注文は知っているので用意はするのですが、ずっと無言でしかもそれを直接僕に手渡さず、バットの上に置き“持って行け”と指示するだけでした。お客さんたちはそんなことは知らない様子で、普段通りに僕に話しかけてきます。でも、お父さんお母さんと僕の間には冷たい空気が流れている、何とも不思議な状況となってしまいました。
 しばらくして、常連の無口なおじいさんが僕と同席しました。少しして、お母さんはこのおじいさんの豆乳と揚げパンを持って来て、かわりに僕の皿とカップを奪い取るように持って行きました。手伝わないならもう来るな、ということなのでしょうか……。
 ここまで来てしまうと、さすがに僕も不愉快です。自分の意見を主張して、それを行動に移しただけで、こんなことになるとは思ってもみませんでした。最近、日本の方も訪れるようになったのに、大変残念な結果になってしまいました。
 僕はこの時、“もう、この店には顔を出さない方がいい”、そう心に決めました。




■9月25日 水曜日……日本からの土産


 今日の午後、日本から来たAとともにチェンマイに戻ってきました。彼は、揚げパン屋に行った時のお土産として、日本手ぬぐいを2本用意してきていました。僕は、日本手ぬぐいが好きです。頭に巻くわけでもないのですが、すぐ乾くしたたんでしまえばかさばらないし、大変便利だと思っています。毎朝競技場でジョギングする時も、手ぬぐいを持って行っていました。揚げパン屋の手伝いをする時は、縦にたたんで首に巻いてしまうと、ジャマにならないからです。
 ある日、お父さんは僕に「自分も日本手ぬぐいがほしい。」と言ってきたことがありました。僕は、余分を持っていなかったので、Aに頼んでお土産にしてもらったのです。しかし、僕は揚げパン屋に行く気にはなれませんでした。そこで、事情をAに話したところわかってくれて、彼は一人で行くと言ってくれました。Aは無事にお土産をお父さんに渡し豆乳と揚げパンを食べることができて、とても喜んでいました。そして、Aはチェンマイを発って行きました。
 僕は、揚げパン屋の息子にメールを書くことにしました。息子は今回の問題とは無関係だし、息子は僕のいい友人だと思っています。今回の一件について説明し、またあの界隈を去ることも知らせました。転居するにあたって、お父さんお母さんには大変感謝していること、今は理解できなくてもそのうち理解してくれると望んでいること、そしてお父さんお母さんが僕のことを思い出した時にでもこのことを話してほしい……、そんなことを書きました。
 こうして、僕はあの揚げパン屋、お父さんお母さんと離れていきました。




~お別れ編その2~


■10月7日 月曜日……揚げパン屋から離れて


 友人宅への転居まで、あと6日となりました。とはいえ、まだこの界隈にいなくてはなりません。ジョギングは続けていますが、帰りはタニン市場に寄らず、違う経路で帰ってきました。
 最近の朝食は、屋台で売っているタイのお菓子です。ほかの店でも豆乳と揚げパンは買えますがその気にもなれず、また朝からあぶった肉、というのもちょっと僕には重たすぎます。しかし、お菓子というのも何かおかしな朝食です。
 タイ語の授業は、YMCAのグループレッスンを受けています。毎日ではなく、月・水・金の週3日の午前中。そして、その帰りにいつも15バーツのクエティオを食べているのですが、その時以外の食事はどうも落ち着かず、また昼食・夕食をそれぞれの時間に買いに行くのも面倒になり、昼間タニン市場に昼食と夕食の2食分を一度に買いに行ったりしていました。
 タニン市場のいつも行くカオニャオ屋のおばさんは、ニコニコして色々話しかけてくれます。最近は「なぜ揚げパンを売らなくなったのか?」とまじめな顔で聞いてくるようになっていました。また、ここの店には僕のお気に入りの娘さんもいます。今日は、この娘さんにも同じ質問をされました。僕は、「自分は旅行者だから、働いてお金をもらってはいけないんですよ。見つかったら警察に捕まるんです。」と答えましたが、そんなことを言ってもまったく理解できないようで、「わからない。どうして、どうして?」の連続でした。こんなことを聞いてくるのは、誰かに頼まれたからなのでしょうか、それともただの好奇心なのでしょうか……。
 数日前、カーオマンガイ屋のお兄ちゃんから電話が来ていました。“みんな待っているから戻って来てくれ……”そんな内容でした。お兄ちゃんの本心なのか、ほかの誰かに頼まれたのかは知らないけれど、僕はまったく戻る気はなれませんでした。そこで「心配してくれてありがとう。でも、戻ることはできないよ。」と答えました。また今日は、ジョギングの帰りに揚げパン屋の常連のおばさんにも会いました。この人は、スポーツタイプの自転車に乗り、競技場でエアロビクスをしています。このおばさんからも、「もう、売らないのか?」という質問を受けました。今さらくどくどと話す気にもなれず、「しないです。」とだけ言って挨拶をしました。
 みなさんが心配してくださって、本当に感謝しています。でも正直言って、いちいち説明するのが今は面倒なのです。みんなの問いかけは、単なる好奇心なのか、それとも本心なのかはわかりません。でも今は、それ以上にみんながいつも何を考えているかさえわからなくなってきてしまいました。




■10月8日 火曜日……友人僧


 タイ人の“雨期は終わった”という話は本当なのでしょうか。今朝は天気もよく、風も涼しくて乾いているような気がします。今日は授業もないので、久しぶりにワット・プラシンに行くことにしました。いつも願いごとがある時、精神的に煮詰まってしまった時などは、ここを訪れることにしています。
 ネット屋で朝のメールチェックを済ませて、自転車でワット・プラシンに向かいました。寺院に到着し、いつものようにまず奥にある壁画が書かれている小さな寺の方に向かいました。僕は、いつもこちらを先に訪れます。特に意味はないのですが、いつの間にかそうなっていました。
 仏様の前で合掌した後、ボ~ッと寺の中を見ていると、隅に座っていた僧が立ち上がって近づいてきました。その僧は、僕が6月にここを訪れた時に、手首にサイシンを結んでくれた僧の1人でした。その時は、彼に2時間近く自分の身の上や揚げパン屋を手伝っていることなどを話していました。もちろん、初めて会った時僕はタイ語がわからなかったので、やりとりはすべて英語でした。僕の経歴と行動に興味を持ってくれたようで、また日本語や日本人にも興味があるらしく、話す英語がお互い不十分であったにもかかわらず、時間のたつのも忘れて延々と話をしたのです。その後も時々会うことがあり、今日で4度目でした。
 この僧は、僕に話しかけてきました。「揚げパン屋には行っているのか?」最初にそのことを話題にしたので、僕はちょっと驚いてしまいました。そして、自分は今までの顛末について話をしました。一応、僕の言っていることも理解してくれているように見えました。すると彼は、僕に「瞑想をしてはどうか?」と勧めてくれました。はじめのうちは訓練が必要だが、集中さえできるようになればどんな場所でもできてスポーツよりもいい、と彼は言います。
 ワット・プラシンの僧まで僕の相談に乗ってくれるとは、何とありがたいことでしょうか。
 少し、気持ちが楽になったような気がしました。




■10月13日 日曜日……転居


 いよいよ今日は、転居の日です。いったん一時帰国をしたとはいえ、この界隈には4ヶ月もお世話になりました。長期滞在をはじめてから、色々なことを勉強、経験させてもらいました。今度は、また新しい場所で一から勉強、経験をしていこうと思います。
 昼食を買いにタニン市場に出かけました。カオニャオ屋のおばさんに挨拶をし、この日はいつもより遅くまで働いていたカーオマンガイ屋の兄ちゃんにもお礼を言って、この界隈を離れました。
 色々と行き違いはあったけれど、みんなやっぱりいい人なんだ、と思いました。




~引越し後編~


 その後、揚げパン屋の息子からメールが来ました。内容は、“父さんもお母さんも心配している、さびしがっている”というものでした。息子は僕の言い分を理解してくれたのだろうか、と考えましたが、彼は当事者ではなく傍観者といったほうがいいのかもしれません。またそのうち来てほしい、とも書いてありましたが、僕自身はその気にはなれませんでした。たとえ行ったとしても、また同じことの繰り返しなのでしょうから……。この時は、それよりも新しい居候先にどう溶け込めるのか、ということに夢中でした。新しい居候先の環境の違いにどう溶け込むか、ということで精一杯だったのです。揚げパン屋のお父さんお母さんには、なぜ僕がそういう行動に出たのか振り返ってほしかったです。また僕は僕で、新しい居候先では同じような失敗は繰り返したくない、と思っていました。
 この時、僕は揚げパン屋には多分2度と行かないのだろう、あるいはもし行ったとしても、何年もたってからではないか……そう考えていました。




■10月30日 水曜日……日本にて


 僕は今、日本にいます。別に尻尾を巻いて帰ってきたわけではありません。希望のパヤップ大学のタイ語講座が定員不足のため未成立、AUAの次の授業開始にも2週間あり、この間に一度帰国してビザもしっかり取って長期滞在に本腰を入れようと思ったのです。実家でメールチェックをしたら、揚げパン屋の息子からメールが届いていました。メールには、彼女ができたということが書かれていました。お父さんお母さんには言っていないトップシークレットだそうです。たぶん、うれしくて誰かに言いたいのですが、相手が思いつかず僕にメールしたのでしょう。
 それでも、そんなトップシークレットを僕に教えてくれるのは大変光栄なことです。僕は、返事にこう書きました。“再びチェンマイに行ったら、彼女と3人で一緒に食事でもしましょう。でも、これもお父さんやお母さんには秘密ですよ”。




■11月22日 金曜日……息子との食事


 豆乳屋の息子と、食事に行きました。11月9日に再びチェンマイに戻って来てから、AUAの授業が始まったり、夏風邪のような体調不良が続いたりして、さらにはお互いの都合がつかず、今日の息子からの誘いの電話で話がやっと決まりました。
 カードスワンケーオで待ち合わせ、そこからモトサイの後ろに乗せられ、行ったのはチェンマイ大学近くの食堂でした。さすがチェンマイ大学の学生、それも真面目な……、行動範囲もこの付近なのでしょう。
 肝心の彼女がまだ来ていないので聞いてみると、「今日は来ない。」と言います。何のために今日来たのかわからなくなってしまいました。それでも、久しぶりの息子との再会です。9月中旬以降、大学の試験などでほとんど顔を合わせていませんでした。なので、今まであったことをお互い話しました。
 改めて思うのですが、この息子はとても真面目です。勉強が特別できるわけではないですが、お父さん、お母さんのしつけがよかったのか、僕に対しても非常に丁寧に接します。どこで覚えたのか、僕の名前を呼ぶ時苗字の後ろに“サン”を付けます。聞いてみると、数回だけやった僕の日本語の授業で覚えたそうです。
 食事の後、チェンマイ大学裏門近くの小さなコーヒーショップに行きました。ここは、過去2回連れてきてもらったところで、僕がリクエストしました。
 話ははずんだのですが、あっという間に門限近くになり息子との再会は終了しました。




■12月21日 土曜日……再会の意思表明


 今日は、揚げパン屋の息子と2回目に会う約束の日です。家を出る直前に、彼から電話がかかってきました。タイ人特有の突然のキャンセルかと思いきや、何とお母さんが“なぜ家に来ないのか?”と言っているということでした。おいおい、僕と会うことはトップシークレットじゃなかったのか、お前の秘密もばらしていいのか?……というのは冗談で、「今回は遠慮します。」とだけ答えました。それにしても、息子はどうしてお母さんに話したのでしょうか。いい子過ぎるのではないか、と思ってしまいます。
 前回同様、カードスワンケーオで落ち合いました。息子は“お母さんから持たされた”と、できたての豆乳を2袋渡してくれました。モトサイで行った先は、いつものコーヒーショップの隣の食堂です。ここも、僕は前に一度来たことがあります。店の間に並んでいるおかずの入った鍋のフタを開けて、食材をたずねた時にキノコをタイ語で言ったのに通じず、ボディーアクションできのこの格好をして笑われたことを覚えています。食事を始めようかという時、息子の携帯が鳴りました。今度は、「お父さんが僕と話したいと言っている。」と言います。僕は電話をかわり話をしました。お父さんは、「どうして家に来ないのか?」と聞いてきました。僕は恥ずかしので、あの手この手で断りました。ただ、あまり色々言ってくるし、息子からお父さんお母さんも色々考えていたようだということや会いたがっているという話を聞いていたので、「そのうち行きます。ただし、行くのであれば朝、市場に行きますよ。」と答えました。ちょっと大げさだが、これが再会の意志表明なのではないでしょうか。
 食事も話も楽しく終わり、モトサイに乗って送ってもらおうとしたとき、息子が「忘れていた。」とジャンパーのポケットに手を突っ込みました。取り出して開いた手の平には、コーヒーキャンディーが4個ちょこんとのっかっていました。お母さんが、僕がコーヒーを飲むのが好きだと話していたのを覚えていて持たせたそうです。今日話している中で、息子はこんなことを言っていました。“お父さんお母さんは、あなたを子供だと思っています。僕もお兄さんだと思っています。だから、心配したり会いたいと思うのです。”
 これは、タイ人特有の感情の表現方法なのでしょうか?僕には、チェンマイに何組も両親がいることになります。




■1月1日 水曜日……再会


 僕は今、チェンマイプラザホテルにいます。東京から友人が正月休みを利用して遊びに来ているのです。友人は、僕が頼んだ重大な使命を背負っての来チェンでした。というのは、僕はそろそろパソコンが手元にあった方がよいと考え、友人に東京で購入してこっちまで持ってきてくれと頼んでいたのです。友人は、12月29日から1月4日の朝まで滞在する予定です。
 それより、ちょっとした事件があり、僕はこの友人が利用しているチェンマイプラザホテルに身を寄せています。実は、新しく居候させてもらっている家から追い出されることになってしまたのです。居候先からは“4日か5日までに出て行け”と言われていたのですが、タイ人との人間関係が少々不安になってしまったので、僕は友人にいろいろ相談して、彼のいる間ホテルに滞在しようということになったのです。
 話はそれましたが、この友人は8月にもチェンマイを訪問し、揚げパン屋を訪れています。その時の話は、日記にも書いている通りです。僕は、揚げパン屋のお父さんやお母さんに会うのであれば、家ではなく早朝の市場のあの店がいいだろう。訪れるのはいつでもいいのだが、せっかくなら区切りのいい元旦にしよう。その時期なら、何日か顔を出していたこの友人と一緒にいくこともできるし……そんなことを考えていました。
 前日の大晦日の夜は外出せず、買ってきたみかんを食べながらホテルのテレビでNHKの紅白歌合戦、そしてその後の“行く年来る年”を見てすぐにベッドに入り、元旦の朝午前6時過ぎにトゥクトゥクに乗って、タニン市場へ向かいました。市場は、托鉢に回る僧侶たちや店の仕事を朝からがんばっている人たちがいて、数ヶ月前と同じでした。ただ違うのは、今は1月、朝の冷え込みだけです。
 店に近づいていくと、お父さん、お母さん、そして息子の3人で仕事をしている姿が見えてきました。お父さんは、うれしそうに僕を見て笑ってくれました。数ヶ月前、目も見てくれなっかたことは微塵も感じさせませんでした。お母さんは、正月のせいかいつもよりきれいでおしゃれなタイ風のいでたちでした。お母さんは、いつもと変わらず折りたたみテーブルのところに「座りなさい。」と言ってくれました。すぐに、マグカップに入った豆乳と皿に山盛りになった揚げパンが出てきました。冷え込んだ朝に飲む豆乳は、身体にしみ込んでいくようでとてもあたたかかったです。「友人はいつ着たのか?いつ日本に帰るのか?僕は日本にいつ帰るのか?」そんな、たわいのない会話をしました。正直言って、もう少し劇的な再会シーンでもあるのかと期待していましたが、父さんお母さんはいたって普通でした。
 店が忙しいせいなのかもしれません。この日は、揚げパンは見る見るうちに売り切れ、豆乳も全部売り切れました。揚げパンが売れて生地がなくなることは僕が手伝っていたころにも何度かあったのですが、豆乳が売り切れるのは初めて目にしました。揚げパンが先に売り切れたころ、少しだけ手が空いたお父さんが僕に近寄って来て、僕の肩に手をかけながらこう言いました。「チェンマイにいて嫌なことがあったら俺に言え。俺がやっつけにいくから。」とは言っても、お父さんの顔はニコニコしています。
 もちろん、僕はこの日、揚げパンと豆乳をいただいただけで、手伝いは一切しませんでした。親子3人でも忙しく、“ああ、そこはこうすれば……”と一瞬腰が浮きかけましたが、そこはじっとこらえました。もう、数ヶ月前のあんな思いはしたくないからです。これからも、以前のように手伝うことはないでしょう。ただ、もし日本人の友人が“僕の揚げる姿を見たい、僕の揚げた揚げパンを食べたい”と言えば、その時はお父さんお母さんにお願いして、させてもらおうと思っています。
 無事、父さんお母さんとの再会は終わりました。お母さんは、豆乳を友人と僕にそれぞれ2袋ずつくれました。「こっちは砂糖なし、こっちは砂糖少し、輪ゴムの色が違うからね。これからも、時々遊びに来なさい……。」

 僕と友人は、店を後にしてワットプラシンへと初詣に向かいました。




 このようにして、揚げパン屋さんのお父さん、お母さん、そして息子との再会は予想よりも早く実現しました。ただ僕は、今回の再会はただ時間が経過して、嫌なことの記憶が薄れたから実現したのではないか、とも思います。もともと、お父さんお母さんはそんなに気にも留めていないことなのかもしれませんが、また近づきすぎれば同じようなことも起こってしまうような気もします。
 僕はタイ語も勉強していますが、タイ人の性格もチェンマイでの滞在生活を通して勉強しているつもりです。タイ語は色々な学校があったり先生がいたりしますが、タイ人の性格のほうについては自分で勉強していくしかありません。揚げパン屋さんとの関わりだけでなく、その後引っ越して居候した家族との間でも考え方の違いから予想もしないトラブルが発生したり、驚いたり、悩んだりの連続でした。チェンマイ長期滞在の先輩たちの中には、“タイ人はこうだから……”と決めつけてしまう人もいます。僕は、タイ人をこうだと決めつけてしまうのは少し乱暴な気がします。なぜなら、同じタイ人でも個人差はあるし、性格も違います。人間は機械ではないので、調子がいい日もあれば悪い日もあるでしょう。そう意味では、日本人だって十人十色なのだから……。ただ、タイ社会における価値観や、判断基準は異なります。なので、そこを受け入れる努力をしていきたいです。それにタイ人には、色々側面、というか顔があって、それが時と場合によって変化して登場してくる傾向が日本人より強いのではないかと思うことがあります。言いかえると、本能のままというか、自分に素直というか。だから、異国人たちは時々それに振り回されてしまうのではないでしょうか。タイ人から僕は、「お前の言い分を聞くと、タイ人は全部悪くて日本人はすべてよいと考えているのだな。」と言われたことがあります。僕は、決してそんなことを言ったつもりはありません。ただ、考え方が違うのだよ、と話しているだけです。お互い考え方が違うのなら、そこで色々意見を出して話し合ってみたいのですが、僕が接したタイ人たちはそれを避けようとするきらいがあるようです。
 自分としては、もっともっとタイ人を理解してみたいと思っています。まだまだ、タイ人の性格の勉強は始まったばかりです。新しい居候先で色々悩んで、日本の友人にメールした時にこう言われたことがあります。“そんなに頑張らなくてもいいから、帰ってくればいいじゃない”。別にイヤイヤがんばっているわけじゃなくて、もっと前向きに楽しんでいるというか、面白いというか……、というのが正直な感想です。

 やはり、僕はタイ人が大好きなのでしょう。タイ人との関わりがあるうちは、タイ人との話をできるだけ書き留めていきます。そして、機会があれば、またみなさんに紹介していきたいと思っています。



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