あなたの知らないチェンマイ





クルーバー・シーウィチャイ


行き方……ドーイステープに向かう国道1004号線(フワイケーオ通り)沿い。チェンマイ動物園を過ぎて右にカーブし、急登が始まってから100mほど行った左側。



チェンマイ西部にある、現地の人たちから敬われている高僧クルーバー・シーウィチャイを祭ったお参り所(1) ドーイ・ステープまでの道路を建設した高僧、クルーバー・シーウィチャイの像を祭った聖地。チェンマイの人々は、この僧侶を「ナックブン・ヘン・ラーンナー」(ラーンナーの聖人)と呼んで高く敬っており、夜になると線香・ローソクなどを持ってお参りにやってくる。

 クルーバー・シーウィチャイは1878年に生まれた。嵐の最中に生まれたため、“ファー・ローン”(雷)というチュー・レン(愛称)がついたという。子供の頃から、特に放生(籠に入った鳥や亀を放して功徳を積む行為)に興味を示し、熱心にそれを行った。18歳の時にラムプーン県にあるワット・バーン・パーンで学び始め、その信心深い姿勢はすぐに多くの人々からの尊敬を集めるようになった。功徳を得るために、人々が彼の行いに対するサポートを申し入れたので、彼は寺院の修復プロジェクトを立ち上げ、生涯で100以上の寺院を修復した。その中には、ラムプーンのワット・プラタート・ハリプンチャイやワット・チャマデヴィー、チェンマイのワット・プラシン、ワット・スワンドークなどが含まれている。
 ドーイ・ステープまでの道路建設には、のべ5,000人以上の人々がボランティアとして参加し、完成までに5ヶ月と25日を費やした。1935年4月30日に行われたオープニング・セレモニーでは、彼の乗った自動車が先頭になって、ドーイ・ステープまで登っていったという。
 像の周囲には、お参りセットを売る店やおみくじの自動販売機が並んでいる。ここには、夜にお参りするのが普通なようだが、ドーイ・ステープへの道はこの像のすぐ先で閉鎖されてしまう(19:00~06:00)。バイクなど自前の足がない場合にはソンテオをチャーターして行くのがよい。トゥクトゥクでも、急登は少しなので行けるとは思うが……。


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≪クルーバー・シーウィチャイがドーイ・ステープへの道を作るまで≫

チェンマイ北西部にある、現地の人たちから敬われている高僧クルーバー・シーウィチャイを祭ったお参り所(2) 昔、ドーイ・ステープにお参り旅行に行くのは、とても大変なことでした。徒歩で登っていくには数時間かかりました。
 仏暦2460年(西暦1917年)まで、ボウォンデート王は国道部の職人にドーイ・ステープに登る道の工事について調査させる考えを持っていました。調査の結果、費用は20万バーツ、期間は3年にわたるということがわかりました。政府の側は、予算がないのでそのような工事はできないと、王の考えを制止しました。
 その後、チェンマイの王であるスリー・プラカート王とケーウ・ラワラト王は、もう一度この試みが成功するか、心で祈り瞑想して見てもらうために、クルーバー・シーウィチャイに来ていただくよう懇請しました。クルーバー・シーウィチャイは、明日中にもう一度答えを聞きに来るよう約束しました。そのため、2人の王は翌日もう一度、クルーバー・シーウィチャイのもとを訪ねて拝みにやって来ました。すると、クルーバー・シーウィチャイは「6か月以内に終わる」という答えと同時に、「金曜日に山に登り、土曜日に谷川を降りる。儀式を始めてほしい。」と謎のことを言いました。
 スリー・プラカート王は、そこで自分の妻であるルアンケーウ夫人に会って相談するため、急いで旅行に出ました。スリー・プラカート王はよい返事をもらい、そしてルアンケーウ夫人は自ら料理人としての義務を果たしました。スリー・プラカート王は、そこで個人のお金でドーイステープに登る道の工事に関するビラを5万枚印刷しました。 そして、ケーウ・ラワラト王は北部全体の人々に配るために、さらに5万枚のビラを印刷しました。
 クルーバー・シーウィチャイは仏暦2477年11月9日を吉祥時とみなして、ワット(寺)・セーンファーンのクルーバー・トゥムに午前1時にターウタン4のお経を読むことを任せました。そして、10時になるとタイの初代首相のプラヤー・パホン・ポンパユ・ハセナーがクルーバー・シーウィチャイをワット・プラシンから儀式の行われるエリアへ招待しました。
 クルーバー・シーウィチャイを招いたパレードがドーイ・ステープの麓にあるワット・シーソーダーの周辺に到着すると、ドーイ・ステープに登る道を最初に作る儀式(起工式)が始まりました。ワット・セーンファーンのクルーバー・トゥムは、発展を願うお経と厄除けのお経を読む人となりました。プラヤー・パホン・ポンパユ・ハセナーは、儀式として最初にくわを降ろす人となりました。そして、クルーバー・シーウィチャイはよい縁起と勝利を持ってくる儀式としてくわを降ろして出てきた土を引く人となりました。それから、チェンマイの街を治める王のケーウ・ナワラト王が、儀式としてくわを降ろしました。続いて、スリー・プラカート王、ルアンケーウ夫人、北部の王室の人たち、お金持ちの商人がみんなで一緒に道路工事の儀式としてくわを降ろしました。
チェンマイ北西部にある、現地の人たちから敬われている高僧クルーバー・シーウィチャイを祭ったお参り所(3) クルーバー・シーウィチャイはその日の儀式に参加しに来た人に「今回の工事はとても大きなものとみなします。もし、天の神々が助けてくれる時になれば、工事は成功するでしょう。自信を持ちなさい。そして、本気で協力し合いなさい。そうすれば必ず成功の結果が見えるでしょう」と話しました。クルーバー・シーウィチャイは、神々が助けてくれるよう大衆が力を合わせるために、神聖な言葉づかいで発表しました。
 しかしながら、スリー・プラカート王は、ほんの少しの人しか助けに来ず工事は成功しないことを恐れていたので、まだ心配でした。クルーバー・シーウィチャイは、スリー・プラカート王がそのようにいらいらしているのを見抜いて、彼に言いました。「王様、心配する必要はありません。あと7日したら、掘るところがないくらいたくさんの人が来ます。」
 それからさらに7日間、信者の人々の手に10万枚のチラシを配っていきました。そして、タイ北部の多くの郡・県、多くの階層、さまざまな言葉を話す民族のラーンナーの人々がそれぞれ続々とふもとにあるワット・シーソーダーに集まってきました。ある人は子供や孫の手を引いて、ある人は身の回りの品や食事を天秤棒で担いで来て、援助に加わりました。またある人は、くわやすきを肩に担いできて、10人が100人に、100人が1,000人に、1,000人が10,000人になり、最後には周辺は人の列でいっぱいになりました。
 その最初の工事は、スリー・プラカート王、お金持ちの中国系商人のゴーウ氏、そしてケーオ・ナワラト王の義務でした。そのほかに、ゴーウ氏とスリー・プラカート王は工事の間のすべての距離の水と食料を積載して昇り降りする給水車を待って世話をする義務がありました。一方で、クルーバー・トゥムは道を切り開くリーダーを任されました。そして、ガン・チャナノン王がともにルートを開拓しました。それ以外に、チェンマイの地域・地区の中の男のお金持ちの商人、軍人、警察官、村人を問わずチェンマイのすべての人たちが、色々な果物、お米と乾いた料理、道を作るのに使う器具、道具、工具を含むさまざまな供物を捧げる団体として集まってきました。さらに、ドーイステープに登る道の工事に協力して、クルーバー・シーウィチャイに捧げるために巨大で盛大なブラスバンドが行進しました。
 ドーイステープに登る道の工事は、迅速に進みました。朝になると、すべての人々がそれぞれのグループの持っている義務を果たそうとしました。夜になると、田舎風の踊りを楽しむイベントを開催しました。山岳民族、平地の人を問わず、誰もが出し物を持って来て演じました。それぞれみんなが交代で舞台にあがり、楽しく出し物を演じました。
 非常に強い善業と聖徳とともに、人々の体力と精神力の玉のような汗と信仰の力によって、ドーイステープに登る11キロと530メートルの道を作るのに成功するには長くはかかりませんでした。工事にかかった時間は、たった5か月と22日間だけでした。2478年4月30日の道路を最初に開く儀式では、タウゲーゴーウ氏の自動車を使って、クルーバー・シーウィチャイを招いて車に乗せてドーイステープへと登って行きました。国家的な祝典は。15日15晩行われました。
【2015年にドーイ・ステープへの道の工事起工80周年を記念して作られたリーフレットより】



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