ダムロン物語~あるチェンマイヤクザの人生~(1)


BY:蘭菜太郎

 これは、私が民芸品やルビー、サファイヤなどの色石を買いつけるために、チェンマイを頻繁に訪れているうちに縁あって知り合い、後に私の親友となったタイ人のダムロンとその家族の話である。彼の波乱万丈の人生はいまだに続いており話は完結してないが、彼と知り合ってから10年以上の途中経過として、この話を記することにする。

≪注≫本文中に登場する人物などは、すべて仮名です。また、写真と本文とは一切関係ありません。




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■第1話:ケオとの出会い


 ケオはサームローの運転手であった。彼と知り合ったのは、1985年2月のことである。
 夕食に、チェンマイ・コカでタイスキをたらふく食べて帰りの足を探していると、サームローが来て私の真ん前に止まった。当時、定宿としていたプリンスホテルまでかなりの距離があるので、いつもであれば相手にしないのだが、その日はトゥクトゥクもソンテオもまったく通らず、もう10分以上も待っていたし、また2月の風がさやかな夜でもあったので、「これでもいいかな」と思い値段の交渉をすると、初めから良心的な価格であり、気分よく言い値で乗り込んだ。さわやかな気候と、くだらない無駄口を叩かない彼のおかげで、思ったよりも早くホテルに着いた。料金のほかにポケットの小銭をサービスすると、彼は恥ずかしそうにほほ笑んだ。彼の肩をポンと叩いてホテルに入り、フロントでキーを受け取る時に何気なく見ると、金をポケットに入れ、う回して戻って行く彼のサームローが見えた。普通はこれで終わり、サームローの運転手のことなど、すぐに忘れてしまうはずであった。
ダムロン物語~あるチェンマイヤクザの人生~ 部屋に戻り、買いおきのコーラの栓を開け風呂の支度をしていると、突然電話が鳴った。フロントからで、「サームロー・マンが財布を届けに来ている」と言う。「エッ!」と驚き、すぐにポケットを触ってみると、確かに財布がない。あるのは別にしてあった小銭の束だけであった。飛ぶようにしてフロントへ行くと、先程のサームローの運転手が、真剣な顔でフロントの女性と話をしている。私の姿を見つけると、「そうだ。確かに彼だ!」と言い、二の腕をつかんで、「よかった、よかった」という。今の今まで財布を落としたことにすら気付かなかった私は、財布が戻って来たんだという実感が湧かず、ただ「よく届けてくれたね、ありがとう」と繰り返した。話を聞くと、寒くなってきたので、客席のシートの下に入れてあるジャンバーを取ろうとしたら、シートの上に財布が落ちていた。さっきの日本人だな、と中身を確認すると、えらい大金が入っているではないか。きっと困ってるに違いないと思い、すぐ届けに来たとのことであった。
 この時、財布にはルビーの原石であるコランダム買いつけのため、3万バーツ以上の金が入っていた。彼の年収以上であろうから、確かに大金である。私は彼の生真面目さに感激して、3千バーツを手渡して謝礼とすると、彼は驚き、喜び、フロントの女の子やドアマンにまで、興奮した様子でもらった金を見せて歩いている。皆が「お前は正直でよい人だ」とほめたたえ、彼は顔をくしゃくしゃにして喜んだ。
 そして、この時、はじめて彼の名前を聞いたのである。
 翌日から、ケオは私の気のおけない友人になった。はじめのうちは、よほど不都合でない限り彼のサームローを使う程度であったが、気心が知れてくると、ほとんど一日中一緒に過ごすようになった。特に用事がない時は、午前10時から11時頃になると、ケオがサームローの仕事のための既得権を持っているというチェンイン・プラザ・ホテルの溜まり場に行く。そこには、ケオの雲助仲間がいつも複数、時には10人以上もたむろしていた。ここでは、私はケオの特別なお客ということですぐに出入り黙認の身となり、名前も知らない雲助兄ちゃんと世間話をしたり、仲間うちの小博打に小銭を賭けたりした。近くに、当時としては珍しい、サイフォンのコーヒーを飲ませるブラック・キャニオンという喫茶店もあり、ケオが仕事に出ている時でも暇潰しが色々とあって楽しかった。


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■第2話:ケオの住まい


 チェンマイに何度か出入りして半年ほどたった9月のこと。この年の雨期明けは遅く、激しい雨が何度も降る日が続き、方々で道路が灌水してしまい、自分も大変な思いをしていつもの雲助の溜まり場に行くと、ケオはさらに遅れてやって来て、「洪水で、家が水浸しになっているので大変なんだ」と言う。“それならすぐに見に行ってやろう”と、やじ馬根性で彼の家まで行くことになった。
 彼の家の近くまで来ると、道路は完全に灌水しており、サームローの客席の足置きの位置をも完全に越えて座席近くまで水に漬かってしまい、ケオはサームローを降りて、道路を泳ぐようにしてサームローを押している。そして、その時に初めて訪れたケオの家は完全に水に漬かっていて、まるで打ち捨てられたボート小屋のようであった。家の中で大人が暴れたら、簡単に壊れてしまいそうなバラックで、中では奥方らしい女性が濡れた衣装を片付けており、弟だという2人の男性が家財を同じ敷地内に建っている床の高い家の方へと運んでいた。
ダムロン物語~あるチェンマイヤクザの人生~ この時は、私が手伝えるような仕事もなく、ただ呆然と洪水の被害を眺めていた。隣近所のどの家も大騒ぎになっており、みんな家財を頭の上に掲げるようにしてどこかに運んでいる。それらの人々の懸命な声が重なって、“ワーッ、ワーッ”と聞こえてくる。犬や鶏やアヒルが、そこいら中を泳ぎ回っていた。サームローの座席の上で、胡座をかいてしばらくそうした騒ぎを眺めていると、どこから持って来たものか、3mほどのボートを竹ざおで操りながらやって来て、ケオの弟に何か言ってるおじさんがいる。ケオも濁り水をかき分けてそちらに向かい、おじさんと話をしている。すぐにこちらに戻って来て、「帰るなら、あの人が送ってくれる」と言う。要するに、このおじさんは洪水に乗じてアルバイトをしており、有料で船での送迎をしてるらしい。でも、ほかには誰も乗っていないところを見ると、商売は余り繁盛してないようだ。そこで値段を聞くと、灌水してない大通りまで20Bとのこと。交渉が成立したので、今日のところは帰ることにした。ケオと家族には、水が引いたら改めて遊びに来るからと声をかけ、洪水で大騒ぎの町中をノンビリと、おじさんの操る船に揺られてホテルに戻った。

 ケオには、2歳になる長男とボアライという名前の奥方がいた。ボアライは、痩せ型筋肉質のケオとは正反対で、大柄でブヨついた体型の目つきのきつい人だった。私が遊びに行くといつも大歓迎してはくれたが、私は何となく彼女が苦手であった。
 ケオの家は、サンパコーイの交差点から少し入り込んだ、庶民的なたたずまいが多い路地の中ほどにあった。間口12m、奥行き20mほどの敷地の一角に4軒のタイでは典型的なスタイルの高床式平屋住宅が建っており、ケオの家はその左奥のボロ家であった。ほかの3軒は彼の母親と兄弟の家で、右奥のケオの家の向かいにあたる場所に彼の弟のソムサックの家があった。 路地から見て手前の2軒の家の右側、ソムサックの家の左隣には長兄のダムロンの家があり、もう1軒の手前の左側の家には母親、弟のゲアッと妹のニーパポン、養女だというウィが住んでいた。
 当時、母親は廃品回収の仕事をしており、ダンボールを山積みにしたリヤカーを諦めているように黙々と引いている姿が印象的だった。父親はかなり前に亡くなっており、他家に嫁に行った姉が近所に住んでいるとのことで、養女を入れなければ全部で6人兄弟であった。はじめのうちはケオの家以外に入ることもなく、他の兄弟とは挨拶をする程度だったが、皆いつも笑顔で歓迎してくれ、愛想がよかった。


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■第3話:ケオの一家


 ケオの家は、タイでよく見られる高床式のバラックだったが、床が地面から60~70cm程度の高さのところにあり、どちらかといえば背の低い、角の欠けた長方形の平屋づくりであった。入口になった一角には、3段のハシゴがかけてあり、それを登ると小さな踊り場があって、また2段の階段になっていて、その先に4畳半ほどの狭い部屋があり、夫婦の生活空間のすべてになっていた。
 ケオの2歳になる息子のセンは、女の子のようなカワイイ子供だった。ちゃんと男の子の服装をさせているにもかかわらず、言われるまでは女の子だと思っていたほどであった。が、後にケオは、「センはふたなり(両性具有)で生まれ、男性器を残して女性器を閉じ、男の子としたので、実際に半分は女の子だったんだ」と、恥ずかしそうに教えてくれた。

ダムロン物語~あるチェンマイヤクザの人生~ そのうちに、雲助の溜まり場に行くよりも、直接ケオの家に遊びに行くことが多くなってきた。ケオの奥方のボアライは、初めて会った時にはすでに妊娠3か月だったそうで、一定期間をあけてチェンマイに来て彼女に会うごとに、お腹が膨らんできていた。翌年の4月のこと、いつものようにサンパコーイに遊びに行くと、ケオの家は施錠されて誰もいないにもかかわらず、サームローは家の前に置いてある。“一体、どうしたんだろう?”と思っていると、長兄ダムロンの奥方であるティップが、ニコニコ笑顔でやって来た。ケオに2人目の息子が生まれて、彼女は今病院から戻ったばかりで、ケオの方はまだ病院にいる、とのことであった。母子ともに順調らしく、それはめでたい、よかったよかったと話をしていると、ケオの2人の弟、ソムサックとゲアッがやって来て、朝方ボアライが産気づいてから病院に連れて行くまでの騒ぎや、何と3,900gもあったという大きな赤ん坊のことなどを、楽しそうに教えてくれた。
 年長のソムサックは28歳とのことで、末弟のゲアッは20歳になったばかりの大学生であった。さらにその下の末っ子には、19歳になる妹のニーパポンがいるが、彼女はすでに仕事に就いていた。もう1人、この家には、ウィという10歳くらいに見える女の子がいたが、このかわいらしい娘は、家族の知りあいの女性が出産した直後に亡くなったために残された子供で、ここの家族として引き取って育てているのだと聞いた。ソムサックは結婚して3年目ということで、ケオの長男センと同じ年齢のノーンラップという長女がいたが、この子には知能障害があることが明らかで、体も小さく、3歳になるのにまだ歩くこともできなかった。ソムサックは、今は自動車整備工場で働いているが、もう少したってラムヤイのシーズンが始まると、嫁さんのニンの実家でラムヤイの収穫を手伝うそうで、行けば2か月以上はチェンマイには戻ってこないと言っていた。


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■第4話:ダムロン登場


 「まあ、こちらへ来なさいよ」と招かれて、この時に初めて長兄であるダムロンの家の中に入った。
 この家も、タイの水準から考えてもやはりボロ家に変わりはないが、150cmほどの高床式住宅で、天井も高く、ケオの家より大きかった。高床の下には縁台のようなものが置かれており、くつろぐためのスペースになっていた。階段は、正面入口と裏の勝手口の2ヶ所にあり、正面入口の階段を登ると、玄関に相当するスペースがあった。ケオの家のよりもかなり大きいそのスペースに、たくさんの鉢植えの植物が所狭しと並べられており、水の入ったカメも置かれていた。そこから方向転換をして3段ほど階段をあがると、家の入口になっていて、手前が居間、奥が寝室になっていた。その居間に通されると、そこに母親と長兄のダムロンがいた。
ダムロン物語~あるチェンマイヤクザの人生~ ケオ自身も含め、彼の兄弟はみんな比較的優しい顔立ちをしているのだが、この長兄だけは別で、ヤクザ者が天職というカンジでひどく人相が悪く、夜の人気のない場所ではあまり会いたくないな、と思うような人であった。
 最初は、その鬼瓦のような顔をした長兄ダムロンの仕事は、当然母親と同じ廃品回収業なのだろうと思っていた。しかし、外から見えるだけでも、彼の家には冷蔵庫やテレビがあり、ほかの兄弟や母親よりもかなり裕福そうである。「何の仕事をしているのか?」と聞くと、“今は何も仕事がない”という。それなのに、どうして彼と奥さんは高価そうな金製品をたくさん身に付けて、遊んで暮らしていけるのかが不思議であった。事実、いつ遊びに行っても、ダムロンはほとんどの場合家におり、身の回りのこと以外に、何か収入のための仕事を本気でしているところをまったく見ることができなかった。

 ダムロンは妙な迫力のある人で、一種危ない雰囲気を持っているように私には感じられた。たとえ彼が笑っている時でも、その雰囲気は常に漂っているのに、なぜか人を引き込む包容力のような畏怖を感じてしまう、いわゆる親分肌の人なのだ。身内はむろんのこと、彼の友達や近所の人逹までもが、彼には一目も二目も置いて付き合っており、それが理解できる迫力が彼には感じられる。本物のヤクザタイプなのである。
 それまでは挨拶程度の付き合いではあったが、その鼻息の荒さはすでに十分に感じていた。それが、改めて彼とはじめて差し向かいで顔を合わせたこの時、“ダムロンは、絶対まともな人ではないな”と確信し、もしかしたら、本当は殺し屋かもしれない、と考え、なぜか不安が頭の中を駆け巡りはじめて、肝を冷やした。この長兄ダムロンには子供はなく、彼と彼の奥方のティップは身内や近所の世話焼きを、生活一部のようにいつもやって、色々と面倒を見ているようだった。
 この、ケオの家族の住む家のある路地には、同じようなボロ家と貧乏人が多くて、とても庶民的で、人情味あふれる近所付き合いが行われていた。彼とはじめて差し向かいで顔を合わせたこの時も、ケオの奥方が退院して来たら、友達や近所の人達を集めて、出産祝いのパーティーをする相談を母親としていたところで、友達も近所の人もたくさん来るので、ぜひ私も参加するように勧められた。


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■第5話:不思議なパーティー


 そのお祝いのパーティーは、実に楽しかった。友達も近所の人も来るとは聞いていたが、その人数には驚かされた。いや、その前に、昼過ぎにダムロンの家に行った時に見た食料品の山にまず目をむいた。
 タライよりも大きなアルミの入れものに、肉や卵がまさしく山のように積まれ、所狭しと置いてある。それはもう、人間の食べるものとは思えない量であった。「これを全部食べるのか?」とたずねると、「来る人数によっては、足りないかもしれない」とダムロンは言う。要するに、来る人数をきちんと把握していないのである。これは、余ったら動物園にでも引き取ってもらわなくちゃならないんじゃないかと、ひとごとながら心配になってきた。
 ティップが、肉を焼くための四角い金火鉢に炭をくべながら、支度を手伝っている家族や近所の人に手順を指示している。ケオは、ドラム缶のカマドに乗せた金ダライで卵を茹でていた。ソムサックと奥さんのニンが、肉を小さく切っている。ダムロンは、ものすごく辛そうな焼き肉用のソースを作って、その出来栄えを盛んに自慢していた。
 夕方の5時近くになると、近所のおばさん達が次々とやって来て、料理の支度を手伝い始めた。膨大な量の茹で玉子の殻がむかれ、肉が次々とバーベキューにされていく。
 肉が焼けてよい香りを立て出したのを見計らったように、近所の人達がドッと現れた。料理が配られ、酒が振る舞われる。子供たちには大きなケーキがカットされて配られ、飲み物の栓がポンポン抜かれていく。
 どんどん客が増えて、もう足の踏み場もなくなった頃にケオがやって来て、「カジノを見に来い」と言う。“何だ、そりゃ?”と見に行くと、ケオの家に人が集まって、即席の賭場を開帳していた。こんなバラックに大勢の人が入って壊れないのかな、と心配になるほど、そこにはたくさん人が詰めかけていて、トランプやタイ式花札の小博打をしたり、それを見物しながら飲み食いしており、末弟のゲアッとソムサックの奥さんのニンが、お客に酒や料理を配っていた。そして、よく見ると、そこにはここに遊びに来た時に見かける近所の人達が大勢いた。
ダムロン物語~あるチェンマイヤクザの人生~ ダムロンから、友達だと紹介されたブン。しかし、友達というよりは子分か弟分といったカンジで、常にダムロンと行動を共にしている人だ。やはり、職業は不明。彼は、ダムロンの家の隣の敷地の一角にあるバラックを借りて、夫婦で住んでいる。半ズボンの尻ポケットにいつも強力そうなパチンコを入れている、変わった人である。博打を見物しながら酒を飲み過ぎ、わけのわからぬ罵声を張り上げて周りの人に迷惑がられているのは、すぐ裏に住んでいるというご隠居さんだが、私はこのおじいさんが酒に酔っていないところをついぞ見たことがない。博打に興奮して一際大きな声を出しているのは、やはり以前ダムロンから紹介されたことのあるウイラット。彼はインスペクター、つまり警察官である。彼の存在が、ダムロンをさらに不思議な人にしており、このウイラットが何らかの力をダムロンに与えているのではないか、とも考えた。
 夜の7時頃になると、もう家も庭も人であふれ返り、移動するのも大変な騒ぎとなってきた。ダムロンの家の高床の下にある、くつろぎの場に置かれている縁台まで何とかたどり着くと、そこには乳飲み子を抱いたティップとダムロンが、皆に取り囲まれるようにして座っていた。そして、そのすぐ隣には、背もたれのある椅子に座った産後のボアライとダムロンの母親がいた。
 ダムロンが私に声をかけて来て、自分の右横の床を叩き「ここに座れ」と言っている。そこは縁台の中央であるため、人混みで脱いだ靴がどうなるか心配だったので遠慮した。「パーティを見たいから」と言って、人並みをかき分けながら敷地の入口に行くと、人が家の前の通りにまであふれ出しており、大勢の人が楽しそうに飲み食いしているのが見えた。

 私は、このような形式のパーティーに参加するのは初めてであった。全く知らない人はいないのだろうが、誰でも来た人に酒や食事を振る舞うのは、日本では選挙事務所くらいなもので、個人的な祝い事ではまず考えられないのだが、現にここではそうしていた。私が以前住んだことのあるネパールやインドなどでは、2千人とか3千人とかが来る結婚式もあるにはあるが、その場合だって、すべて招待状を持っている人だけであって、こんなに無秩序ではない。
 私は、うれしくなってしまった。来ている人々はみんな普段着であり、特にめかし込んでいる人など一人もいない。しかも、これだけの人数を呼んだのに、ホストのダムロンやティップも普段着のボロを着たままなのだ。
 それは、タイの人々のおおらかさと謙虚さを如実に見たような光景であった。
 しかし、後になってから、単純にそれだけではなかったことがだんだんとわかって来るのだが、少なくともこの時にはそう感じられた。そして、この人達と友達になり、この沢山の人達の仲間になれたことの幸運に、感謝せずにはいられなかった。



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